戦争の真実と平和への願い

【終戦記念日に思うこと】

 8月15日に、日本は76回目の「終戦記念日」を迎えました。この8月という月を、私は毎年特別な思いで過去を振り返りながら過ごしています。

 1945(昭和20)年の8月6日、第二次世界大戦において人類史上初の原子爆弾が広島市に落とされました。その3日後、長崎市に投下された2発目の原子爆弾は、元々は小倉市、現在の北九州市小倉北区の大手町に投下される予定でした。当時、大手町には日本軍の武器を開発・製造・貯蔵する小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)があり、敵軍の第一目標でした。

 8月9日の朝、小倉市の上空は煙と雲が立ち込めて視界が悪く、目標がはっきりと確認できませんでした。そのため、米軍は第2目標であった長崎市に原爆を投下しました。当時私は4歳で、大手町のすぐ横の弁天町に住んでいました。小倉に原爆が投下されていたら私自身も命を失っていたかもしれません。生きていることは決して当たり前のことではなく、命があることに感謝して人生を大切に生きないといけないと、当時の経験を振り返るたびにその思いを強くします。

 戦争では多くの方々が無念の死を遂げています。現在も新型コロナウイルスに感染して命を落としたり、苦しんだりしている方々がたくさんいます。私たちはいつどこで命の危機に遭遇するかわかりません。毎年8月15日の終戦記念日は、命の大切さ・尊さを考える機会にしてほしいと思います。

【戦争は女の顔をしていない】

 今月の推薦図書の中で「戦争は女の顔をしていない」という本を紹介しています。この本は、1941年~1945年の第二次世界大戦において、ドイツ軍との戦闘に挑んだソ連軍の従軍女性たちの凄まじい戦争体験をインタビューしたもので、当時の思い出やその後の人生が生々しく描かれています。一部、私が心に残った部分を抜粋してご紹介します。


 敵はすぐそばまで来ている。赤ちゃんが泣けば全員が死ぬことになる。30人全員が。決断が下された。母親は自分で布切れに包んだ赤ちゃんを水の中に沈めて、長いこと押さえた。赤ちゃんはもう泣かない。静まりかえっている。私たちは誰も眼を上げることも、母親を見ることも互いの顔を合わすことも…できない。


 ドイツ将校の食堂でウエートレスに採用された。スープに毒を入れてその日のうちにパルチザンに入れとの命令。私たちは将校に親しんでしまった。そりゃ、敵だけど毎日会うし名前も呼ばれて。これは難しいことよ。殺すのは難しいの。


 これらは、本に書かれたことのほんの一部です。彼女たちは自ら志願して前線へ向かいました。家族や国を守るために戦うことは、彼女たちにとって当たり前に生じた感情でした。まだ16、17歳の女の子。人が目の前で悲惨な死を迎える、生死を分かつ戦場でさえも「女性らしさ」や「人間性」を忘れることなく持ち続けながら戦いました。

 しかし戦争が終わると、男性は英雄として讃えられる一方で、女性は「人殺し」などと呼ばれ偏見の目にさらされます。悲しみを抱えながらも、彼女たちは自分の歩む道をそれぞれに見つけ出し、戦後の時代を生き抜いてきました。戦死した人、戦争に行かなかった人、戦争に行って偏見で差別された人…皆がそれぞれに自分の人生の道を『選択』し、自分の運命と向き合ってきました。

 人生においては、良い時もあれば悪い時もあります。その時々にどういう行動をとるかという選択は、私たち一人ひとりが自分自身と向きあいながら決定を下します。いつどんな選択をするかによって、その後の人生が大きく変化することもあります。

 今日、新型コロナウイルス感染症により「まさか!」という事態に陥っている人々もいます。私たちにもいつどこで、どんなことが起こるかは分かりません。信念と愛情を持って果敢に「戦争」に挑んだ女性たちの心の声を読み解き、どんな苦境の中でも自分という芯を持ち続けることの大切さを学んでほしいと思います。そして、平和の尊さを改めて胸に刻み、この悲劇を二度と繰り返してはならないという教訓にしてほしいと願っています。

ウチヤマグループ会長 内山文治