産んでくれて 育ててくれて ありがとう ~2021年5月

さわやか笠寺館(愛知県名古屋市)
ナン ニラーウィン さん

 私の母はミャンマーのパオ民族が住んでいる村で産まれ、18歳で結婚しました。母は私にパオ民族の苗字の「ナン」という名前をつけてくれました。私が産まれたとき、母は父の家族と一緒に暮らしていました。父の家族は、最初の子供は男の子が欲しかったようで、女である私が産まれて母は父に嫌われました。それを分かっていた母は、私にたくさんの愛情を注いでくれました。

 父の母親は厳しく、母が家事や仕事を上手くできないと叱られ、きつい話を毎日されていました。母はそれを我慢しながら、その後3人の子供を産みました。父は仕事が上手くできずに毎日お酒を飲み、私が中学校に入る時には飲み過ぎで亡くなりました。母は31歳で独身になりましたが、まだ若く美人なので、結婚の申し込みに来る男性もいたほどです。母は、父の家族に迷惑をかけたくないので、3人の子供を連れて別の所に引っ越しました。私は長女なので、母の力になる為、母と一緒に市場で野菜を売る仕事をしながら生活していました。

 中学校を卒業した時、私は母に高校へは行かないと話しました。母は悲しい顔をして進学を諦めないように言いましたが、私は高校へ行くのを辞めて首都へ行って働くことを決意し、美容院で働きながら弟と妹の学費を稼ぎました。母にはたくさん褒められて嬉しかったです。仕事で困ることや人間関係で上手くいかない時には、どうすれば気楽になるか、我慢できるのかを母に教えてもらいました。

 母は、お年寄りを尊敬して自分の為に良いことを教えてくださる方々にお礼をするように教えてくれました。私は日本へ行きたくて、2013年から勉強を頑張りました。しかし、お金の問題や書類の手続きが上手くいかず、何回も失敗しました。母は諦めないで頑張るように何度も応援してくれました。そして2018年に、ようやく日本で働けるようになりました。

 現在は、弟が結婚して子供ができたので、母は孫の世話をしながら幸せな生活をしています。今年の5月13日は母の49歳の誕生日でした。新しい家を作るために、私は母に200万円をプレゼントしました。母とインターネットで話をした時、母の嬉し涙が見えました。母の夢は、いつか自分の庭と大きな家を持つことでした。今、その夢が叶ったと思います。私は母を見て、人生はいくら大変でも頑張り次第で幸せになれると思いました。これからも母の為、親孝行していきます。 私を産んでくれてありがとうございます。

お母さん ナン ヤイン モー さん