産んでくれて 育ててくれて ありがとう ~2021年6月

さわやか倶楽部 運営指導部
原田 裕子 さん

 私の両親は佐賀県の出身で、私も高校時代まで両親、祖母、姉と佐賀で暮らしました。母はいわゆる「本家の長男の嫁」。祖母の介護、家事、子育てに専念する主婦でした。誰より早く起きて、誰より遅く寝ても、いつも元気で明るく振舞っていました。

 私は子どもの頃から母に「〇〇してはいけない」と言われたことはありません。他県で進学し、卒業後も東京で仕事をしていた私には、ずっと「自分のいいようにしてね。仕事があるのだから休みも佐賀まで帰らなくていいよ」と言い続けてくれました。

 その母が65歳の時に、父が69歳で急逝しました。その後10年、母は一人暮らしでしたが、75歳になった頃、徐々に認知症を発症しました。久々に帰省した私は、家事ができなくなった母の変わりようにショックを受けたものです。「もう一人暮らしはできん…」。母が初めて私に言った弱音でした。それで私は東京から引き上げ、佐賀の実家で母と暮らすようになりました。

 認知症が進むにつれて、母は衣食住に不便が出てきましたが、買い物に一緒に行くと私の好物ばかりをカゴに入れるのです。認知症になっても娘の好物は覚えている、母の優しさは変わりませんでした。

 それから4年経ち、姉一家が住む福岡県宗像市に引っ越すことにしました。その準備で母の荷物を整理していた時、私の手はハタと止まりました。長年母が使っていたバッグの底から、山盛りの宅配便の伝票が出てきたのです。送り手は私。私は東京から滅多に帰省しない言い訳に、たまに母へプレゼント便を送っていたのですが、その伝票すべてを母は捨てずに持っていたのです。「忙しいから帰省しなくていい」と労わってくれた母の、娘への愛情の深さを思い知り、なぜもっと早く帰ってあげなかったのかと泣けてきました。

 宗像市に越し、母は「さわやか宗像館」に入居させていただき、そのご縁から私はさわやか倶楽部に就職させていただきました。現在母は、宗像館の職員さんのおかげで、とても穏やかに暮らしています。今の自分があるのは、父、母に産んでもらい、育ててもらったおかげです。心から、ありがとうございます。

お姉さん(左)、お母さん(中央)と一緒に