さわやかこおりやま館(福島県郡山市)
西村 博和 さん
今から56年前、私は福岡県田川郡香春町で産まれ、そして育ちました。
幼少の頃の私は決して身体が強いほうではなく、病気がちでとても手のかかる子だったと思います。特に食事面においては、お腹を壊すことがないように刺し身魚に火を通すなどしてもらったことが今でも記憶に残っています。現在の健康な身体は、そのような母上の気遣いに加え、運動を推奨し応援してくれた父上のお陰であるとたいへん感謝しております。
18歳で両親の元を離れ、現在は福島県郡山市で暮らしていますが、福岡に帰省することがここ最近はめっきり減ってしまい、さぞや寂しい思いをさせているのではと考えるととても心が痛みます。既に二人の成人子息を持つ身となりましたが、結婚して家庭を持ち、そしてここまで子を育ててこれたことは両親の支援あってのものに他ならず、感謝してもしきれません。
今から2年半前、コロナ禍で世間が騒々しくなった時期に「これまで私を育て、そして温かく見守り支援してきてくれた両親に対し、どうやって報いることができるか」という思いが、何故か突然頭をよぎりました。特に将来についていろいろと考えることをコロナ禍が私に課したのでしょう。加えて親の年齢、そして自身の年齢に照らすとそのようなことを考えさせられる時期だったのでしょう。そして考え抜いた結果、1年半前に介護職へ転職しました。
母上、現在は健康にお過ごしと存じますが、もしも今後介護を要するような状況になった場合にはどうかご安心ください。それは私がこれまでほとんどやってこなかった親孝行というものを、母に寄り添いそして介護することによって実現できる機会となるでしょう。そして父上は天国でそれを見て喜んでくれることでしょう。
父上、そして母上、ここまで育てていただき、本当にありがとうございます。そして今後も引き続き温かく見守っていてください。