さわやかさかのいち館(大分県大分市)
介護職員
河野 翔太 さん
私は平成5年1月3日、大分県佐伯市で生まれました。5人兄弟の長男で、兄弟が生まれてくるたび、下の子のお世話や料理以外の家事などを母から教わりました。小学校に上がる頃には、下の子のおむつ替えなど家事の手伝いをしていたことを思い出します。
両親は共働きだったため、小さい時から父方の祖父母のそばでも過ごしていました。私が風邪を引いた時には、祖母が玉子がゆを作って看病をしてくれたり、よく面倒を見てくれました。亡くなった祖父は、山へ一緒に行ってお墓に供えるしきびや榊を採ったり、歩いて尺間山に登ったりと、いろいろな場所に連れて行ってもらいながら昔のことをたくさん話してくれました。最近は妹から時々呼ばれ、小さい子どもの面倒を見ることがありますが、今思うと祖父母が教えてくれた経験が生かされていると感謝しています。
小学校高学年の時はポートボールに夢中になり、もっと上手くなりたくて母から投げ方などを教えてもらいました。母は力いっぱいボールを投げながら、真剣に教えてくれたことをよく覚えています。
今は父と二人暮らしですが、父は自分の帰りを待って料理を作ってくれます。自分の体のことを考えて作ってくれる父の料理はどれも美味しく、とても助かっています。父も持病があり、無理がきかない体になってきているので、これからは少しずつ料理を習いながら負担を減らし、体をいたわってもらいたいと思っています。
祖母も高齢になったため、時々は父方の実家に行って祖母と話をしたり、買い物に同行して荷物持ちをしたりしています。祖父にはもう恩返しができませんが、里に戻ったときは必ず線香を上げるようにしています。近所の方も高齢者が多いので、自分ができることをしていきたいと思っている時に、さわやかさかのいち館で働いていた中学からの友人・島川職員から誘いがありました。
「この仕事に就いたら、両親や祖母のサポートができるようになることで恩返しもできる!」と思い、私もさわやか倶楽部に就職を決めました。介護の仕事をしていく中で、祖母や高齢者の方に対して見る視点が変わり、認知症や生活状況の変化への気づき・対応など、いろいろな介護の力が身につくことがとても楽しくやりがいを感じています。
今、さわやかさかのいち館で働けていることは、自分の力だけではなく、周囲の方が支えてくれたおかげだと思っています。両親や祖父母に「生んでくれて育ててくれてありがとう」と伝えたい気持ちを大切にして、これからも仕事に取り組んでいきます。