自然災害対応の備忘録シリーズ
2011年3月11日に発生した東日本大震災。当時、さわやか倶楽部が東北地方で唯一運営していた介護施設「さわやか桜館」(秋田県仙北市)でも大きな揺れが発生し、停電や断水等の被害があり、職員・入居者様等も情報が限られる中で必死の対応を迫られました。当時施設長だった岡村順子さんは、2011年4月発行の社内報の中で、以下のように当時の様子を報告しました。震災12年が経過した今日、あらためてここに掲載いたします。
3月11日午後2時46分。非常に大きな地震が発生しました。とても寒い雪の降る日でした。秋田県仙北市は震度5でした。
突然の横揺れが始まり、皆が騒然としました。すぐにおさまると思っていましたがおさまる気配がなく、すぐに玄関の自動ドアと非常階段のドアを開け、非常出口を確保しました。同時に内線電話で各階に連絡し、非常階段のドアを開けるようにと入居者様をホールに避難してもらうようにしました。
「地震です。慌てずホールに避難して下さい」と館内放送をかけました。慌てることで災難が大きくなることを防ぎたい一心でした。ゆっくりと話すことを心がけました。途中から停電し、エレベーターも停止しました。エレベーターの中に人が取り残されていないか確認しました。
各階現場は速やかに入居者様の誘導を行いました。この間ずっと揺れており、異常事態を感じました。少しして各階から、入居者様ホールに避難終了、人数確認し異状なしという連絡が入りました。105名の入居者様の安全は確保できました。
これはただ事ではないと、インターネットで情報を収集しようとしましたが繋がりません。電気会社に電話しましたが繋がりません。役場に電話しても繋がりません。消防署に電話すると「情報はまだ入ってきておりません。電気を使う医療が必要な方いますか」とのことでした。吸引は非常用の手動のものを使用することにしました。本社から電話が入りそちらから状況の確認をするのみでした。
状況によっては外に避難することも考えられるため、入居者様には衣類を着込んで頂き、毛布をそばに置いてホールで待機していただくようにしました。各階に回り入居者様に状況の説明をしました。
宮城県沖で大きな地震が起きて被害がかなりありそうなこと。大停電となり状況がつかみにくいこと。しかし桜館は建物が丈夫で崩れる心配はないこと。場合によっては外に避難するかもしれないので暖かい恰好で待機していただくこと。慌てると危険なので職員の誘導に従ってほしいこと。大丈夫なので安心して下さい…等話しました。
入居者様は一つ一つに「はい」と返事をしてくださいました。中には「私はいつでも死ぬ覚悟が出来てるから何にも心配はないよ。」と笑顔で言われる方もいました。寝たきりの方はベッドごとホールに待機していただきました。
電気の復旧の見込みがないため、厨房と話し合いを行いました。問題は、暖かいものが出せないこと。水も出ないので調理に困ること。食材がないこと。エレベーターが使用できないので、食事は階段でリレーして運ぶことを決めました。暗闇でご飯を食べることのないように、4時半をご飯の時間に変更しました。
明日からの食事の話し合いもしました。まずはあるものから、翌日の朝食はパンとバナナと卵料理と決めました。その後は電気が使えないためご飯が炊けず、お粥を提供。途中からガスが復旧したため、おかずは炒め物、ゆで物少量。お米は水の出る栄養士さんの家で洗って持ってくる。食器が洗えないので紙皿、紙椀をラップでくるみ何度も使えるようにしました。
水は職員の佐々木リーダーの家に貰いに行き、厨房の大きな釜に保存。冷凍庫に保存してある食材を傷まないうちに調理して提供する。それでも3日分しか持たないだろうとの事でした。この状況がいつまで続くか予想もつかないため、食材の確保には必死でした。最悪、米はたくさんあるからそれのみでも提供しようと決めました。
入居者様の飲み物は汲んできた水を用意し、さらに暖房が利かないため、ペットボトルの湯たんぽを作るため循環風呂のお湯を汲んで鍋で沸かし105名分作りました。お風呂のお湯が少なくなったら外の雪を足して水を増やしました。トイレ後に流す水にも使用しました。ありったけの懐中電灯を用意し、夜に備えました。
さらに入居者様に、食事の量は少ないが必ず提供できますと説明を行いました。食後は早く休んで頂くようにしました。勤務中の職員も家族と連絡が取れず、何度も連絡してもらうようにしました。
非常用の誘導等もバッテリーが切れ本当に真っ暗な夜になりました。さらに一般電話も繋がらなくなり、携帯電話も繋がりにくい状態でした。その間何回も強い地震があり、不安は大きくなりました。夜は夜勤だけの職員では人数が少ないため、独身の人中心に泊まり込んでもらい、入居者様がトイレに起きたらすぐに懐中電灯を持って駆け寄り、介助できるようにしました。長い長い夜を過ごしました。夜中の真っ暗な中での地震は怖いものがありました。
12日は活動開始。活力朝礼は、緊急対策の申し送り。情報は正確に伝えるよう、皆も真剣でした。活力朝礼も気持ちをアップするため声を大きくしっかり行いました。
物資の補給のため、皆で買い物に走りました。開いている店がない。物がない。そんな中でも飲み物、お菓子、おしり拭き、懐中電灯、電池をあるだけ購入してきました。役場に行って桜館の状況を伝え、水道局で水をもらうことにしました。何度も水を汲みに走りました。本社とは電話で連絡を取り合い、情報を共有しました。携帯電話の充電は車で行いました。そんな中でも、ショートの入退所や緊急申し込みがありました。途中から携帯電話も圏外になりました。とうとう連絡は途絶えたという気持ちでした。
2日目の夜も何名かの職員が泊まり込んでくれ、夜勤は安全に行われました。しかしそんな中、2階の永井様が突然嘔吐され、暗闇の中対応、即、救急車を要請し市立角館病院に搬送しました。永井様は脳出血のため入院となりました。
夜9時過ぎに桜館の周りの家に電気がつきました。なのに桜館は真っ暗で焦りました。1時間程した午後10時ごろ急にパンと桜館の電気がつき始め、一斉にいろいろなものが動きだしました。以降、給水ポンプに貯めてある水を各階に給水できるように、消火用の発電機の電源を分けてもらい、停電しても動くように工事してもらいました。暖房は温度設定を下げ、一階においては事務所の電気は間引きして使用しています。物流がうまくいっていませんが、少しずつ良くなってきています。
本当に皆よく動いてくれました。素晴らしい行動力です。これからは被災された方の受け入れや募金等を行っていきます。一つ一つを確実に行っていくよう「報・連・相・打・根」を徹底していきます。
さわやか桜館 施設長(当時) 岡村 順子